私たちについて

弟マイクに隠された秘密!!

こだわり感じる!

広島発のローストチキン料理が

美味しい。


ミラクル・マイク

Mike the Headless Chicken

1945年9月10日に、コロラド州Fruita(フルータ、フルイタ)の農家ロイド・オルセンの農場で、ロイドと妻のクララが作業を行っていた最中、1羽の鶏が首をはねられた。通常ならそのまま絶命するはずであったが、その鶏(マイク)は首の無いままふらふらと歩き回り、それまでと変わらない羽づくろいや餌をついばむようなしぐさをし始めた。首を失っても動き続ける奇妙な鶏(マイク)を見たオルセンは一晩様子を見ることにしたが、翌日になってもこの鶏は生存し続け、その有様に、ロイドは精肉市場に絞めた鶏を売りに行くときに、首のない鶏も連れて行き、人々に「首がなくても生きている鶏がいるかどうか」とビールを賭けた。その結果、首のない鶏の噂が広がり、地元紙の取材を受けるほどになった。
2週間後、見世物小屋のプロモーターに呼ばれ、ロイドと鶏は約480km離れたユタ州ソルトレイクシティを訪れた。ロイドはユタ大学にマイクと名づけた鶏を持ち込んだ。科学者は驚きの色を隠せなかったが、それでも調査が行なわれ、マイクの頚動脈が凝固した血液でふさがれ、失血が抑えられたのではないかと推測された。また脳幹と片方の耳の大半が残っているので、マイクが首を失っても歩くことができるのだという推論に達した。
その後、プロモーターは夫婦とマイクを連れてアメリカ中を興行に周った。その結果、首の無いまま生き続ける奇跡の鶏はたちまち評判となり、マイクはニューヨークやロサンゼルスなどで見世物として公開された。話題はますます広がるとともに、マイクも順調に生き続け、体重も当初の2ポンド半から8ポンドに増えた。大手雑誌の『ライフ』などに紹介されることとなった。
マイクの周遊はクララによって記録されており、現在も保管されている。
マイクは自ら食べ物を食べられなかったため、喉から管を通し、ロイドがスポイトで水と餌を与え、注射器で喉から粘液を除去していたが、1947年3月、興行中のアリゾナ州フェニックスにおいて、マイクは餌を喉につまらせ、ロイドが興行先に給餌用のスポイトを忘れたため餌をかき出すこともできずに手の施しようもなく、窒息して死亡した。
マイクの死後、ギネス記録に首がないまま最も長生きした鶏として記録された。


当時、下記の童謡が生まれた.

Mike,Mike, where's your head?

Even without it, you're not dead!

記念日

マイクの故郷であるフルイタでは毎年5月の第3週末日を

【Mike the Headless Chicken】

として、エッグレースなど地元のお祭りにしており、マイクの生命力を讃えている。


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